その1で書いたエピソードを機に、自分のレパートリーを見直すことにした。
これまで、ボサノバの代表曲「イパネマの娘」は定番だから外せないと思って歌ってきた。
メロディとコードは芸術的で、リオの雰囲気にぴったりな軽やかさに魅力がある。
世界中で愛されてきた所以だろう。
でも、私は歌詞がどうにも好きになれなかった。
全訳してみよう。
前置きしておくが、あくまで私の解釈であり、これが正解と言っている訳ではない。
これまでブログを読んでくれているかたなら
その意味がよーくお分かりだろう。
「まだ読んでない!でも興味ある!」というかたは、カテゴリー「翻訳・解釈」をチェックしてみてね!
Garota de Ipanema/Vinicius de Moraes e Tom Jobim
イパネマの娘 訳 MIDORi
Olha que coisa mais linda,
見ろよ、なんて美しいんだ。
mais cheia de graça
誰よりも魅力で溢れてるよ。
É ela, menina, que vem e que passa
Num doce balanço a caminho do mar
彼女さ。海に通ずる道を、甘く腰を振りながらこっちに来て通り過ぎていく少女。
Moça do corpo dourado, do Sol de Ipanema
イパネマの太陽を浴びて黄金色に焼けた身体の娘。
O seu balançado é mais que um poema
彼女の(腰を振りながら)歩く姿はポエムだよ。
É a coisa mais linda que eu já vi passar
通り過ぎたものの中で一番綺麗だよ。
Ah, por que estou tão sozinho?
ああ、なぜ僕はこんなに寂しいんだ
Ah, por que tudo é tão triste?
ああ、なぜ全てがこんなに悲しいんだ
Ah, a beleza que existe
ああ、あの美しさ
A beleza que não é só minha
あの美しさは僕だけのものじゃないんだ。
Que também passa sozinha
あの美しさは通り過ぎるだけなんだ
Ah, se ela soubesse que quando ela passa
ああ、彼女が知っていたならなあ。
O mundo inteirinho se enche de graça
彼女が通り過ぎるだけで世界は魅力で一杯になり、
E fica mais lindo por causa do amor
愛でもっと世界は美しくなることを。
男性の女性をみる舐め回すような視線、
独占欲、
外見至上主義。
私はこの曲を聴くたびに、
ホンデュラスにいた頃の記憶を思い出す。
街を歩くと見ず知らずの男性から"Hola chinita, qué bonita"(やあ可愛い中国人ちゃん、なんて美しいんだ)などと言われていた。
Piropoと言って、女性に対しての礼儀みたいな習慣だが、私はアジア人として女性として侮辱されているように感じていた。
嬉しいと感じる女性ばかりではないのに、と
心の中で怒りを爆発させていた。
イパネマの娘について、ジェンダーの観点から私と同じようなことを考えている人はいないかなと思ってググったら、BBCブラジルのコラムニストが2017年5月に似たようなテーマの記事を書いていた。
Tim Vickery: Aos 55 anos, 'Garota de Ipanema' mostra que precisamos de homens mais afinados com o século 21
1962年に作られた曲だから当時は誕生から55年、そして今年は60年。
記事には、ブラジルもジェンダーの認識が変わりつつあるとしながらも、依然従来の性のイメージにとらわれ、古い世界で生きている男女がいること、欧米に比べてジェンダーフリーの考えが浸透するのが遅い理由についての考察が書かれてあった。
5年前だから、今はまた少し違うのかな。
ジェンダーフリーがなかなか進まないのは日本も同じだが、高校生の娘と話をしていると若い世代の人々の意識は急速に変わりつつあるのを感じる。この話題はまた改めてじっくり書きたい。
音楽とジェンダーについて書いてみて、ようやく考えがまとまった。
私は、もう、この曲とは決別しようと思う。
今後はもっと歌詞の内容にこだわって注意深く曲を選びたい。
それが「私らしさ」だと思うから。