前回のブログで去年の年末に「一生にあるかないかの出来事がおこった」と書きました。
今日はそのことについてお話しようと思います。
ある日曜日の午後、娘も夫も外出していて家にいたのは私とショコラだけでした。
その日は天気がよく、家中の窓を開け放していました。
洗濯物を取り込もうと一階に下りたら、ちょうど猫らしき動物がゆっくりとした足取りで寝室に入るのを目撃しました。
慌てて追っかけたらその猫らしき動物が振り返って私の顔を見ました。
猫、ではありませんでした。
そこにいたのは、「狸」だったのです。
とても愛くるしい目で見つめられたので、一瞬ペットとして飼われている動物が迷い込んだのかと思いましたが、狸の放つひどい悪臭にその考えはすぐに打ち消されました。
愛くるしい目は同時に憂いを帯びていました。
狸は部屋の隅でうずくまり動かなくなりました。
私はなんとか部屋から外に出そうと、箒でギリギリまで掃いてみたり鍋で音を出してみたりしたのですが、全く動じる気配がありませんでした。
野生動物と対峙したのは生まれて初めてで、どういう行動に出てくるか予測ができず恐怖に襲われました。
日曜で保健所は休みで、困って茅ヶ崎警察署に電話しました。
「今管轄の派出書管内で事件があって出払っているので、終わり次第向かわせます。」
来てくれるとわかってほっとしましたが、いつ来るかわからない不安は続きました。
1分が1時間に思えました。
待っている間夫に電話すると「犬の鳴き声をアイフォンで聴かせてみたら」というのでやってみました。
一瞬動きましたが、またすぐに蹲ってしまいました。
暫くして、ようやく若いお巡りさんがバイクに乗ってやってきました。
早速狸のいるところに案内しました。
「あれ、もしかして、死んでいる?」
見ると、蹲っていた狸は身体の向きを変え、まるで眠っているように横たわっていました。
お巡りさんが警棒で狸の身体をゆらし死亡を確認しました。
何故足取りがゆっくりだったのか、何故寂しそうな目をしていたのか、やっと状況を飲み込めました。
バイクでは死体を運べないのでパトカーも来てくれることになりました。
到着したもう一人のお巡りさんは新聞紙とゴミ袋をもっていました。
突如、映画「おおかみこどもの雨と雪」のワンシーンが頭に浮かび、動物の死体はゴミとして扱われることを思い出しました。
あまりにも不憫なので、使い古したガーゼのシーツと棺代わりに段ボール箱を差し出しました。お巡りさんがそっと狸をくるんで運んでくれました。まるで告別式後に霊柩車を見送る参列者のようにパトカーを見送りました。
ショコラはどうしているだろうかと二階に上がると、家の一番高い位置にあるロフトの隅で「私いません」とばかりに息をひそめていました。
獣の気配がして相当怖かったろうと思います。
犬なら飼い主を守ろうと出てくれたかもしれませんが、こんな時猫は期待できないな~と苦笑すると共に、生きているショコラを見て心からほっとしました。
いつか狸のようにショコラを見送らなければならない時がくるだろう、でもまだ当分先に違いないと、そのときは信じて疑いませんでした。
バルサンを炊き、1階を消毒液で拭きながら、野生動物が人間の家で最期を迎えたことの意味を考え続けました。
翌月、その問いに応えてくれるかのようなテレビ番組を偶然目にしました。
以下は番組HPの説明から引用です。
1月29日(水)放送の「衝撃のアノ人に会ってみた!」
★手話で人と会話する天才ゴリラ「ココ」と暮らした女性の今
今から36年前。ある映像が世界に衝撃を与えた。 そこには女性と抱き合い、手話で人と会話する一匹のゴリラの姿が。
ゴリラの名前はココ。そして、女性は動物学者のペニー・パターソンさん。 ゴリラの知能が高い事を知っていたペニーさんは、ココが1歳の時から手話を教え、 その結果1000語以上の手話を習得させた。 ペニーさんとココに会いに、アメリカを訪ねると… 72歳になったペニーさんは、今も現役の研究者。 ゴリラの生態を研究するための施設を作っていたが…そこにココの姿はなかった。 一昨年、ココは卵巣がんでこの世を去っていた。 ペニーさんが、ココとの会話で忘れられないものを明かしてくれた。それは「死」について… 「死ぬ時、何を感じる?幸せ、悲しみ、それとも恐怖?」⇒『眠る』 「ゴリラは死ぬと、どこへ行くの?」⇒『苦労のない 穴に さようなら』 動物は人間のように死に恐怖を抱くことはなく、自然の摂理として受け入れることを、ココの手話が教えてくれました。
うちで絶命した狸にとっても、我が家が苦労のない穴への入り口にみえたのかもしれません。
安らかな光が狸を我が家へと導いたのなら、それは我が家にとって光栄なことだったと思えるようになりました。
そして、ショコラも同じように苦労のない穴にかえっていったと思うと心が穏やかになるのです。
私たち人間も死期が迫ったときは、動物のように本能的に「苦労のない穴」を思い描きながら安らかに最期を迎えるのかもしれません。
動物たちが教えてくれることにもっと謙虚でありたいと改めて思いました。
※ 写真のこの子たちは、ショコラが亡くなったあと一緒に寝てくれている子たちです。
娘のぬいぐるみコレクションから譲り受けました。向かって右側の象ちゃんの毛並みが最もショコラに似ていて、左の子は狸さんを彷彿とさせます。子ども染みていますが、この子たちに今はとても慰められています。
ショコラに会いたいです。