先月、ある日曜日の朝、懐かしいかたから電話をもらいました。
8年前まで7年間藤沢に住んでいたときのご近所さん、Aさんでした。
何かと心を向けてくださる優しいご婦人でした。
茅ヶ崎に越してからは、年賀状を送っていました。
母が亡くなった年は欠礼状を送りました。そのときも、私のことを気遣うお電話を頂戴しました。
今年の年賀状には、家族の写真とともにCDリリースの報告も書いていました。
「アマゾンで買えるって書いてあったから孫が来たらインターネットで見てもらおうと思って.、それで年賀状を見せたら、これO先生じゃないかって言うんでびっくりして。」
夫は大学で教員をしており、お孫さんが今年授業を履修されているそうなのです。
また、娘が小さい頃、ベランダからお孫さんへ「おにいちゃーん」と言って手を振って挨拶していた思い出も教えてくれました。
できれば、CDを直接買いたいとおっしゃったので、急きょ娘を連れて伺うことに。
お宅へお邪魔するのは初めてでした。
リビングには沢山の本が積み上げられていました。
ジャズがとてもお好きで、今年お孫さんの高校卒業式出席のためニューヨークを訪ずれた際、世話してくれたホテルの支配人おすすめのお店で生演奏を聴いてきた話をしてくれました。ちなみに、80を超えておられます。
なぜ、ジャズが好きになったのか、というお話には、長い伏線がありました。
戦時中、東京都港区に住んでいたとき、集団疎開で栃木へ送られたこと、しかし食べるものがなくて東京へ帰され、静岡の親戚を頼って身を寄せていたこと、その時酷いいじめにあったこと、やられっぱなしではなく勇気をもって立ち向かったこと、終戦を迎え、お母さまから先に東京へ戻るように言われ、廃墟の上にバラックを建てたお父さまとの生活が始まったこと、やがてアメリカから大量の映画が流入し、片っ端から観にいくにつれ音楽に魅了され、英語に興味を持ち始め、独学で英語を勉強するようになったこと、それからジャズが好きになったこと、世界60か国以上を旅して写真を撮ったこと、などなど。
私は一語一句聞き逃すまいと、真剣に拝聴しました。
「50を過ぎたとき、最も大切なものは時間だと気がつき、それから化粧も美容院へ行くこともやめたのよ」
人前に出るという職業柄、自分は両方を捨てきれずにいますが、以前から本当に必要なことなんだろうかと思っていたことだったのでハッとしました。
興味がある場所へは自ら足を運び、本を読む。
私の理想とする生き方です。
お話を伺うまで私はAさんのことを殆ど知らないのにそれでも何かとお心を向けてくださっていたのは、Aさんはずっと次世代の私にご自分のメッセージをお伝えになりたかったのかもしれない、と思いました。
「Mちゃん(娘)、これからのあなたの長い人生、生きていくうえで、これだけは守っていきなさい。
一つは、他人のせいにしないこと、そしてもう一つは時間を守ること」
そのお言葉を娘と一緒にしかと胸に刻みました。
「戦前戦後を生きてきて70年以上経つけど、今の日本はまたおかしな状況になっていると思うのよ」
実体験から生まれるお言葉には説得力があります。
そして、この本をすすめてくださいました。
前から読まなければ、と思っていた本でした。
戦争の歴史は決して終わってはいないと痛感させられました。
人生の先輩から学ばなければならないことがまだまだ沢山あります。