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平和公園で出逢ったガイドさんの話

いつか、書こうと思っていたテーマ。

今日が終わる前したためておこう。


去年11月、NPOの出張で広島大学病院を訪問したあと、同行したスタッフさんと平和公園へ向かった。


リニューアルした資料館に向かう途中、黄緑色のパーカーを着た高齢の女性と目があった。


「よろしければご案内しましょうか」


ヒロシマピースボランティアのガイドさんだった。

躊躇なくお願いした。


女性が5歳の時、広島に原爆が投下された。

爆心地から離れた場所に住んでいたため直接被害にはあわなかった。家族は子どもに惨状を見せまいと家の中にほとんど閉じ込められていたため被害の実態をよく知らずに育った。

やがて成人になり結婚し子どもが生まれ、子どもが大きくなると原爆の体験を聞きたいと言われたが、自分には語れることが何もなかった。孫にも同じように訊かれた。自分には語る資格はないと思っていた。

しかし、数年前「これではいけない。生き残った者としてたとえ体験していなくても被爆の実相を知り伝えて行かなければならない。」と意を決し、ガイド活動を始めたそう。


約2時間、心を込めて案内してくださった。それまで立ち寄ったことのなかった国立広島原爆死没者追悼平和祈念館にも連れて行ってくださった。膝に痛みを抱えながらのガイド活動はさぞお辛いだろうに、終始凛としておられた。

きっと、痛みを超える強い想いをお持ちなのだろう。平和を願うというのはこういうことなのだと、身にしみて感じた。

女性の、何層にも感情が重なり深く澄んだ瞳が印象的だった。


私たちも、被曝体験はなくとも、次世代に、世界に、ヒロシマ・ナガサキを伝えていかなければならない。




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