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名曲『O Bêbado e a Equilibrista 酔っ払いと綱渡り芸人』解釈続編

いつか書こうと温めておいた話題について、まとめてみました。名曲” O bêbado e a equilibrista (酔っ払いと綱渡り芸人)" の解釈続編です。


1970年代後半にこの曲が発表されて以来、難解極まりない歌詞を解読しようと、世界中の人々が暗号の謎解きにチャレンジしてきました。私もその一人です。



昨年(2020年)5月、この曲を作詞したAldir Branc アウヂール・ブランキ氏が亡くなりました。


偉大な作詞家の逝去をきっかけに、私は再びこの曲の解釈に関する情報を探し始めました。


まずは、ブランキ氏本人が歌詞の解釈について語った話はないか念のため検索してみました。案の定、数あるインタビュー記事の中に歌詞に関する質問は一つもありませんでした。何故「案の定」なのかについては後述します。


曲の成り立ちに関しては、ブランキ氏本人が語った興味深いインタビュー記事をみつけたので、日本語に要約しました。


2007年11月14日ASSOCIAÇÃO BRASILEIRA DE IMPRESSA掲載記事Entrevista – Aldir Blanc より


1977年12月25日、チャールズ・チャップリンが亡くなったとき、ジョアン(João Bosco ジョアン・ボスコ、本曲作曲家)は私を家に呼び、『Smile』(映画『Modern Times』のテーマ)に似たメロディのサンバを作ったから一緒に映画監督を偲ぶ曲を作ろうと誘ってきた。偶然にも時同じくして(漫画家の)エンフィウや(ギタリストで作曲家の)シコ・マリオに出会い、亡命中のエンフィウの兄の話を聞いた。家に帰ってジョアンに電話して、チャップリンのような、心の底から亡命者の状況を嘆くようなキャラクターを作ろうと提案した。彼は「それは君の問題だ」と言った。
サンパウロの番組でエリス・レジーナが初めて歌い、まだ録音もしていないのに翌日にはブラジルでブレイクしていた。

作曲を担当したジョアン・ボスコは歌詞の内容に興味がなかったことが伺えます。面白いですね。


背景がわかったところで、次は歌詞の解釈です。


読んで思わず膝をうった秀逸な記事をみつけたので紹介します。


2020年4月、HP「Letras」に掲載された記事です。


冒頭で紹介した10年前のブログ記事の内容と本筋は変わりませんが、一語一語丁寧に詳しく分析されていて、格段に私の理解は深まりました。


ただ、あくまで「私にとって」のベスト版です。

これが正解と言っているわけではないことを前置きしておきます。


記事の一部を引用しながら、歌詞を徹底解剖していきます。 歌詞と記事の違いがわかるように、歌詞の訳には””をつけています。

 

酔っ払いと綱渡り芸人の分析、エリス・レジーナの成功 / へナート・アフンダ


Caía a tarde feito um viaduto

E um bêbado trajando luto

Me lembrou Carlitos

”高架橋のように日が暮れた そこに喪服を着た一人の酔っ払いがいた

私はチャップリンを思い出した”

A letra começa em tom de desesperança, representada pelo fim repentino do dia. A menção ao viaduto é uma referência ao elevado Paulo de Frontin, que desabou no Rio de Janeiro em 1971, deixando dezenas de mortos e feridos. De forma irônica, Aldir Blanc se refere ao otimismo do período como uma ilusão tão frágil quanto uma obra malfeita. Além disso, temos a figura de Carlitos, personagem mais famoso de Chaplin, que representa a classe trabalhadora, a mais afetada pela situação. Também é possível entender o personagem como um representante da classe artística, uma vez que as roupas pretas de Carlitos simbolizariam o luto pela falta de liberdade.

歌詞は、一日の突然の終焉を絶望の響きで描くことから始まる。

高架橋の言及は、1971年にリオデジャネイロで崩落したパウロ・フロンティン高架橋を指している。何十人もの死傷者を出した崩落事故だ。アウヂール・ブランキは、皮肉を込めて、この時代の楽観主義を、出来の悪い公共事業のように壊れやすい幻想だと述べている。さらに、チャップリンの最も有名なキャラクターであるチャールズは、世相の影響を一番受ける労働者階級を象徴している。また、チャップリンの黒い服は、自由を失ったことへの嘆きを象徴しているため、芸術家の代表としてとらえることも可能だ。

(MIDORiコメント:10年前の解釈では1970年代のベロ・オリゾンテ市での高架橋崩落事故と述べています。しかし、他のインタビュー記事でブランキ氏は「リオで祖父が橋の下をくぐった数秒後に崩落した。祖父は埃まみれになっていた」と語っているので、おそらくリオの崩落事故の方ですね。10年前の記事は訂正します。

同様の事故が国内で一度ならず二度も起きていたことが今回わかりました。その脆弱ぶりはまさに軍政そのものです。


A lua tal qual a dona do bordel

Pedia cada estrela fria

Um brillo de aluguel

”月は 売春宿の女主人のごとく 冷たい星に借り物の輝きを乞うていた”

A Lua é utilizada aqui no sentido figurado para se referir a políticos que defendiam o regime militar por interesses particulares. Sem luz própria, ela recorre às estrelas frias (militares poderosos) em busca de um brilho de aluguel (ganhos eleitorais e pessoais). Ou seja, tal qual a cafetina dona do bordel, que explora as prostitutas para benefício próprio, esses políticos se vendiam ao regime, às custas da exploração do povo e dos recursos do país, para obter ganhos pessoais.

ここでは月は私利私欲のために軍政を擁護する政治家の象徴として使われている。 自分の光を持たない月は、借り物の光(選挙や個人的な利益)を求めて、冷たい星(強力な軍隊)に頼る。つまり、売春宿のポン引き女主人が、自分の利益のために売春婦を搾取するように、これらの政治家は、国民を犠牲にし国の資源を搾取して、個人的な利益のために軍政に身売りしたのである。


E nuvens lá no mata-borrão do céu

Chupavam manchas torturadas

Que sufoco

Louco


そして、空の吸取紙に浮かぶあの雲は

拷問された染みを吸っていた 何て息苦しいのだ!

狂っている!”


O mata-borrão era um papel absorvente, usado para remover excessos de tinta das canetas-tinteiro. Ou seja, um utensílio para eliminar erros. Assim, o verso e nuvens no mata-borrão do céu se refere às torturas e desaparecimentos promovidos pelo regime militar. Os torturadores são representados pelas nuvens, enquanto o mata-borrão simboliza o DOI-CODI, órgão de repressão do governo. Durante o período, era comum que opositores fossem eliminados pelos militares, que forjavam situações para justificar e abafar as mortes

吸取紙とは、万年筆の余分なインクを取り除くための吸水性のある紙のことである。つまり、過ちをなかったことにするツールだ。

このように、「空の吸い取り紙に浮かぶ雲」という一節は、軍事政権が遂行した拷問や失踪を意味する。拷問者は雲で、吸い取り紙は政府の弾圧機関であるDOI-CODIを象徴している。 この時代は敵対者が当たり前のように軍部に排除され、軍部はその死を正当化し隠蔽するために状況を捏造した。

O bêbado com chapéu-côco

Fazia irreverências mil

Pra noite do Brasil

Meu Brasil

"山高帽の酔っぱらいが

ブラジルの夜のために

不敬の限りを尽くした

私のブラジルよ!”


A figura do bêbado com chapéu-coco é mais uma referência ao personagem Carlitos, usado aqui como representante do povo brasileiro. Assim como Carlitos, que mantinha a irreverência diante das dificuldades, o povo continuava a tentar levar a vida com bom humor, acreditando que dias melhores chegariam.

山高帽をかぶった酔っぱらいの姿は、ここでも「チャップリン」のキャラクターのことであり、ブラジル国民の代表として使われている。

困難に直面しても不遜な態度を崩さなかったチャップリンのように、人々はより良い日が来ることを信じて、ユーモアのある生活を送ろうとし続けた。


Que sonha

Com a volta do irmão do Henfil

Com tanta gente que partiu

Num rabo de foguete

Chora

A nossa pátria-mãe gentil

Choram Marias e Clarisses

No solo do Brasil


(私のブラジルは)エンフィウの兄と、ロケットの煙と共に旅立ってしまった多くの人々の帰還を夢見ている

(私のブラジルは)

泣いている

私たちの優しい祖国は

マリア達とクラリス達は泣いている

ブラジルの大地で ”

Para o letrista, era um desejo de toda a sociedade que pessoas exiladas, como Betinho, retornassem ao Brasil. Além disso, ele menciona a dor de Marias e Clarisses, em referência às mães e viúvas de presos políticos, como Maria, esposa do metalúrgico Manuel Fiel Filho, e Clarice, esposa do jornalista Vladimir Herzog, ambos torturados e mortos pelo regime. Um verso do Hino Nacional também é usado para ironizar o sentimento de nacionalismo, denunciando que os cidadãos brasileiros são mortos e exilados por um Estado que deveria protegê-los.

作詞家にとって、ベティーニョ(*エンフィウの兄)のように追放された人々がブラジルに戻ってくることは、社会全体の願いだった。

さらに、政治犯の母親達や未亡人達、例えば金属加工業のマヌエウ・フィエウ・フィーリョの妻であるマリアや、ジャーナリストのウラジミール・エルツォーグの妻であるクラリスなど、政権に拷問されて殺された人たちのことを指して、マリアやクラリスの痛みにも言及している。また、国歌の一節がナショナリズムの感情を皮肉るために使われており、国家はブラジル国民を守るべきところ、殺し、追放している事実を告発している。


(MIDORiコメント:「国歌の一節」とはおそらく" pátria - mãe gentil " (優しい祖国)を指していると思われます)


Mas sei

Que uma dor assim pungente

Não há de ser inutilmente

A esperança dança

Na corda bamba de sombrinha

em cada passo dessa linha

Pode se machucar

”しかし、私はこのような痛みを知っている 無駄になるはずがない

希望が

傘の綱渡りの上で踊る そして、その一歩一歩は 危険を伴う”


A música, que começa em tom de desalento, termina com uma mensagem de fé: toda a luta de pessoas contrárias ao regime, que sonhavam com a abertura democrática, não seria em vão.  A esperança, mesmo que frágil e andando de sombrinha na corda bamba, existia.

落胆の響きで始まったこの曲は、最後に「民主的な開放を夢見て政権に反対した人々の闘争は、すべて無駄にはならない」という信念のメッセージで締めくくられている。

傘をさして綱渡りをしているような儚いものであっても、希望は存在していた。


Azar,

A esperança equilibrista

Sabe que o show do todo artista

Tem continuar


”運が悪いな、

(だが)綱渡りの希望はわかっている

すべての芸術家のショーは

続けなければならないと (ショー・マスト・ゴー・オン)”


Ainda que o período fosse de incertezas, tanto o povo quanto a classe artística deveriam seguir em frente, equilibrando suas esperanças na corda bamba. Afinal, a vida só tem um sentido: a frente.

不安定な時代であっても、民衆も芸術家も、綱渡りの上で希望のバランスを保つように前に進むべきだ。結局、人生の進むべき方向はただ一つ、「前進」なのだ。

 

いかがでしたでしょうか。

めちゃくちゃボリュームがありましたね〜💦

解釈に正解不正解はなく、解釈の違いイコール個性の違いだと私は思います。

時間の経過と共に捉え方も変わってくることだってありえます。

しかし、他人の解釈を自分で咀嚼せずしてそのまま第三者に伝えるのは解釈とは言えません。冒頭で「案の定アウヂール・ブランキ氏へのインタビュー記事に歌詞に関する質問はなかった」と書いたのは、作者本人に意味を訊ねるのはナンセンスで、当然プロのジャーナリストであるインタビュアーはそんな質問はしないだろうと思っていたからです。


重要なのは、「自分はどう考えるか」ではないでしょうか。


ですので、この記事も決して鵜呑みにせず、あくまで参考資料に使ってもらえれば嬉しいです。


あなたの解釈は世界に一つです。



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